今日で9月も終わり

早いもので、明日からは10月。今年もあと3ヶ月だ



 
少し前だがサンツアーフォークのエア圧を間違えていたことを台湾のタカセさんに教えてもらい
自分の古いエアーポンプで調整しようとしたら、みている間にゲージの針が反時計回りしたのだった
エア圧を上げようとしても金具の後ろからもれるだけでまったく入らなかった。フォークは
縮んだまま

こういう道具を貸してもらえるショップが近くにあるのだが、そのMは店主がラスベガスの
サイクルショーに行っているので、高田馬場猿屋で入れさせてもらうことにした

ロングテールバイクのフリーローダー(サイドバッグ)にフォークのみ入れて運んだ
ポンプを借りてエア圧を標準の数値まで上げた。店主があまり使っていないという
ポンプを貸してくれたので新しいものを手に入れるまで使わせてもらうことにする

 
翌日、フォークを元通りにセット。ブレーキのキャリパーを取り付けようとしたら


反発を強くした後にパッドを入れ直した。あまり意味はないかもしれないけど
こういう時でないといじってやれないから


 
そういえば、本棚を見直していたら棚の隙間に行方不明だったディスクローターを発見
MAGURAのベンチディスク、180mm。赤い部分が風を外周に送ってディスク板を
冷却するというもの。効果は疑問だけど格好いいので付けてみようと手に入れていた
だが、以前使っていたマニトウのポストマウントにディスクを留めているカシメが干渉するものだから使えないでいた

ちょうど、少し前にロングテールバイクのフロントディスクを180mmに大径化していたが
中古のローターを使っていたので、これが見つかってラッキーだ



27日。元職場の自転車乗りを野菜販売所に案内することになっていたのだが
あいにくの雨

予定のジャズ喫茶には行くことにして駅で待ち合わせ

 
久しぶりに激辛のカレーを味わって大汗をかいた



最近入れたiPhoneのアプリ
Pocket Light MeterはiPhoneのカメラを利用して露出を計ることが出来る

コレを使うときには便利だ

買ってから入れたフィルムを使い切っていないこれも持ち歩いてワイド画面を楽しみたい
芸術の秋だなぁ
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発掘もの6

Photograph: Hideyuki Suzuki

この印鑑、1998年に新潟は新井リゾートで開かれたUCI WORLD CUP最終戦の時に
ジョン・トマックにプレゼントしたもの。「ジョントマック之印」と入っている

件のレースの前日、本州には大型の台風が接近していた!世田谷はBMX-RIOの仲間達と
雨の中を出発。未明に現地の駐車場に到着。車を入れて仮眠した

雨が降り止まない状況でも日本の熱狂的なMTBファン達が新井に集まっていた
僕たちは出発前に調達していた簡易ポンチョを被り、長靴を履いて会場に入った
僕は、お気に入りのレプリカヘルメットを持ってトマックのサインを待つ列に並んだ

自分の番が来て
 
ヘルメットにサインを入れてもらった!そして、写真の印鑑をプレゼントした
トマックの後ろにいたショーンさん(タイオガの偉い人)が「日本ではシグネチャーと
同じ意味を持つ」というようなことを説明してくれて、彼も喜んでくれたようだった


サインはしてもらったが、近くを離れがたくてそのあたりをうろうろしていたら
その日の試走に出るような格好のトマックが、バイクにまたがって走っていた
それを見ていた僕と目が合った瞬間、こちらにコースを変えて、持っていたグローブを
僕に差し出した!
それは泥が付いて濡れた状態。彼が使っていたものを僕にくれたのだった。回りで見ていた
仲間達から拍手があがっていた。言葉に表せないうれしさ・・・
その日、レース会場で一番幸せだったのはこの僕だと断言できる

この日のトマックはそれほど速くなかったけど、走っている姿を見て興奮したし、幸せだった
このレース、雨の中でもスタート地点からゴールまでコース脇に人が途切れることがなかったらしい
知っているライダー達もテンションが上がっていた

レース後、駐車場に戻っているときに、僕は再び驚くべき光景を目にした


僕らとすれ違って山を目指している人たちのほっぺたに「ジョントマック之印」
が押されていたのだ!


Special THX to Hideyuki Suzuki
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MBA 1994年7月号

先日発掘してきた米国のMTB専門誌"MOUNTAIN BIKE ACTION"
表紙がJohn Tomacだというのはポイントが高いのだが内容も
歴史的に興味深いものがある

僕の記憶によると、シーズン途中にカーボン/チタニウムのフレームから
"EXPERIMENTAL"とマーキングされたアルミフレームに乗り換えている
そして、その年の後半にGIANTに移籍するのだが、今思えばそのフレームは
初めて乗車するアルミフレームの"実験"だったのだろう





この号のハイライトはスター選手達のカスタムペイント・ヘルメットだ
ほとんどがTLDの手によるものだが、この時代にカスタムで売っていたのは
ここぐらいだったのだろうか
 
決してえこひいきをするわけではないが、やはりトマックのものは
出色のできだった。細かいディテールまで作り込まれている感じ
それに比べるとほかのライダーのものはデザインの詰めが甘い気がする
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風邪っぴき

昨日の夜中、枕元の携帯電話を見ると2時過ぎ。頭痛と
ノドの痛みで目を覚ました。悪寒もひどくて出勤は無理と
判断。ウズラ君にメールを入れて休ませてもらうことにした

変な時間にもかかわらずすぐに返事をくれたので
安心して眠ることが出来た
幸い食欲はあったのできちんと食べて風邪薬を
飲んだら夕方には平熱におさまってくれた


さて、その前日。遅れに遅れた納品のため小茂根の
クラフトハウスにうかがった
もちろん嵩張るものを運ぶためにロングテールバイクで
行ったのだが、それを肴にしばし立ち話となった

話をしながらクランクをさわっていたら、少し緩んでいることが
わかったので工具をお借りして締め直した
通常の使い方をするよりもトルクがかかるので
そういうこともあるのかな、と納得したのだ

そのときに、タンデム用のケーブルの話題になり
ロングテールバイク用に、長いシフトケーブルを
作ってもらうことにしたのだが

思い出して、倉庫を漁ってみると17、8年前にまとめ買い
しておいたシフトケーブルが出てきた。長さ2.5m。
錆びている部分もあるが充分に使えるものだ
1992年、RODRIGUEZのタンデムMTBを手に入れた際
用意していたもので、取り寄せが10本単位だったことを
思い出した

ついでに1990年代前半のMBAも発掘。表紙のバイクは
同級生にそそのかされて買ったのと同じものだ

シフトケーブルは磨き直して錆はほとんどわからなくなった
近く、リアメカの交換をする際に出番が来るだろうと思う

おまけ





近所のショップで出会った人が付けていたペダル
なかなか
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ゴミパック〜

もう20年近く前の記憶が夜中にフっとよみがえった

現在は札幌に住む同級生のgizinは、新婚当時に光が丘公園近くのアパートに住んでいた
のだが、その時の電話番号をいまだに覚えている

5△89-8807という電話番号を、同級生のかねぷーが覚えやすくしてくれたのが
「ゴミパック・パパオンナ」

ゴミパックはいいとして、パパオンナは今でもかなり可笑しいと思うのだ
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C100

「C100」というタイトルだけでピンと来た人は、そうとうの
好き者に違いない

HONDAが誇るスーパーカブ初期型の型番なのだ。確か1958年
頃に発売が開始された筈だ

この写真は今から20年少し前のもので、当時の僕はプータロー
だったのだ。場所はアルバイトをしていた富士見台のサンチェー
ンというコンビニの前だと思う

当時、大学の一つ下にマツシマ君といういいやつがいて、二人で
高幡不動にあった植松二輪解体という解体屋さんに往復ハガキを
出して、このカブが入ったら知らせてくれるよう頼んでいたのだ

彼とほぼ同時に僕のところにもハガキが来ており一緒に見に行った。
その場で確か2万円くらい払って、次回行くときまでに乗って帰れる
ようにしておいてもらう約束だった

当日ヘルメットと役所に登録したナンバープレートを持って行ったのに、プラグを新品に交換
したのみで乗れる状態ではなかった。僕らの落胆振りを可哀想に思ったのか解体屋のオヤジ
がトラックに積んで地元まで運んでくれた

それから錆びたメッキ部分を真鍮ブラシとKUREの5-56でピカピカにしたり車体を綺麗に
したりして見られるようにし、バッテリーも交換。特殊な形のウィンカーレンズも手に入れて
乗り回した

僕のC100はバッテリーに充電するダイナモがきちんと機能しなかったので、バッテリーが
よく上がってしまい、交差点は手信号で曲がっていた

その後、マツシマくんのC105(54cc)を部品取り用にいただき、フレームは共通のようなので
C100のエンジンと交換した。構造がシンプルだったのでこれは一人でも問題なく成功した。

クラクションが鳴らなかったのもC105から移植。エンジンはOHVのシングルで、マフラーの
消音器は抜かれていたので原付ながらもしっかりと単気筒の音がしたものだ

その後、自転車にずぶずぶとはまりこんでしまい、乗る機会が少なくなっていったのだが
それとともにエンジンも不機嫌になってどうしようもなくなり、オートバイ好きの知り合い
に持っていってもらった。後日聞いたところによると綺麗にレストアしてエンジンも調子が
いいらしい

チャンスがあればもう一度乗ってみたいと思っている。実は持っている人を知ってるのだが
譲ってもらえるものだろうか。とりあえず、パソコンの壁紙をC100に変えてみた
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味わい深い


先日、1991年頃のジョン・トマックの写真を発掘したときに、高校を卒業して東京に出てくる際に持ってきた古い写真が見つかった。昭和40年代。僕が4、5歳のころだろうか。
後ろに写っているのは、当時家にいた秋田犬のリュウだ。血統書の正式な名前は「哲山号」だったと思う。日本犬の名前って、「号」がつくんだよね。もしかして、僕の名前は彼から文字をもらったのか?と勘ぐってみたりする。
履いている下駄は父親のもので、これを履くのが好きだった。今ではその頃の感情は思い出せないが、父のことが好きだったのだろうか。


大型犬のわりに気持ちが優しい犬だった。このころ僕はご飯を持っていく係だった。最初は飛びつかれ、両肩に前足をおかれて顔をなめられるのが怖かった。
父に、きちんと「お座り」と「おあずけ」を言えばいいと言われ、その通りにしたら言うことを聞いてくれて、それからは怖くなくなったのだ。
どんなに腹が減っていても、「よし」と言うまでは待っていたリュウ。いい犬だった。

歳をとったからなのか、こんなモノクロ写真が味わい深く感じられる。
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John Tomac '91


 思うことがあり、昔の写真を引っ張り出してみていたら出てきたもの。乗っているバイクとウエアーから、1991年のジョン・トマックだということがわかる。写真は、ライターの山本修二さんが撮影したものだったと思う。
 ストローク1インチのマニトウフォークとテンションディスク。当時の定番ギアだった。前年、ロードのレーシングチーム・モトローラに所属して転戦し、ジロ・デ・イタリアも完走した彼は、この年からマウンテンバイクに戻ってきた。そして、イタリアでの世界選手権XCで世界チャンピオンになる。


ダウンヒルとクロスカントリー両方で、90年代半ばまで世界最高の走りを見せてくれた彼のようなライダーはもう現れない。

彼のように夢中になるライダーもこの先は現れないだろう。彼が最高に輝いている時代にMTBと出会えて幸せだった。伝説。
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