2016.04.13 Wednesday
2016.3.13:訃報
3月13日。仕事を終えて帰宅し、麦酒を注いで晩酌を始めようとしていた
ふと携帯を見るとメールの着信。メーリングリストで届いたメールには
「サムズバイクの松浦さんが亡くなりました」の文字。信じられない内容だったが
本当のことだと感じて、体温が急上昇。着ていたスウェットシャツを脱いでしまった
ふわふわしたような不思議な感覚で、その時に何をしていたのかをあまり憶えていない
その後、MXインターナショナルの岡本さんからもメッセージがあり、受け入れるしかないと思い知らされた
21時過ぎ、札幌在住の同級生Gizinより着信。冷静に話そうとしたが嗚咽を抑えきれなくて泣き出してしまった
お通夜(15日)と葬儀(16日)の日程を知らせてくれたので計画を立てる
その夜は一晩中よく眠れなかった。隣でカミさんがもぞもぞと寝返りをうっているのがわかる
彼女も眠れていないようだった
翌日は仕事に行き、有給休暇の申請と仕事の整理。札幌駅近くのビジネスホテルを予約
帰宅して行きと帰りの飛行機を予約と発券
LCCに乗るのは初めてだった。席の前後にはスペースが無く、軽量化のためなのか背もたれは
薄く造られていた。後ろの人の膝が時々当たって不快。成田→新千歳が7千円弱なら良いか
お通夜に行くのはきつかったので、お店に集っているという情報をもらい地下鉄で向かう
おそらく十数年ぶりのサムズバイク
祭壇がしつらえてある一角で献杯
いろんなところに松浦さん。サムズバイクの旧スタッフや常連が集まって飲めるように
用意をしていてくれた
「しんみりしたら罰金」ということで、あくまで楽しく飲む
食べ物をあまり腹に入れないまま日が変わるまで痛飲。Gizinがホテルまで
車に乗せてくれた。着いたのは同じホテルチェーンの違う場所だったけど
そのまま夜の散歩としゃれこんだ
3月16日は告別式。斎場近くの国道は1車線が渋滞。斎場への入場待ちの列だった!
受付を済ませて荷物をロッカーに入れていたら
奈美ちゃんとばったり会い軽くハグ。気が張っているのかしっかりしていた
会場に来ている参列者のほうが大変で、奈美ちゃんが背中に手をあてたり肩を抱いたりして
会場内を歩き回り慰めている様子が見えていた
僕は会場にいる人たちの慟哭に圧倒されてしまい、涙は出てこなかった
楽しいことが好きで周りをいつも幸せにしてくれた松浦さん。送り出しも明るくということで・・
棺の蓋はステッカーチューン。霊柩車で別々に焼き場に行くのではなく、大型のバスで
親族や友人たちとともに(棺は貨物室)
僕たち数名は、松浦さんの秘密基地をGizinに案内してもらうために別行動をとった
真駒内ちかくの川沿いにある秘密基地「Room36」
愛すべきがらくた部屋として貴重なものが展示、ストックしているところ
(リンク先のブログをぜひ読んでほしい)
元スタッフに真駒内駅まで送ってもらい、高速バスで新千歳へ
空港で初めてのスープカレー。美味しかったけど、具が大きくて食べるのが面倒だったなあ
地元駅について、帰宅前にJazzBarそるとぴーなつでお浄め&松浦さんに献杯
松浦さんとここで飲んだことがあって、JAMOOOでも来てくれないかなあと思っていた
心を落ち着かせてから帰宅
僕が松浦さんと知り合ったのは、彼が札幌に戻って開業する直前なので、東京では1年足らず
世田谷のBMX-RIOに努めた期間は3年くらいだったらしい
【松浦伝説】というものがあり、東京時代にもいまだに語り継がれる逸話があったのだ
札幌での25年間の伝説は数えきれないものがあるに違いない
彼が亡くなった3月13日は東日本大震災のチャリティーコンサートに参加するはずで、
直前のリハーサル中に倒れてベースギターを抱えたまま逝ってしまったという伝説
お通夜の会場であった斎場では、800人ほどの人が集まったという伝説
お返しが足りなくなってしまいあとで渡したという伝説
お通夜の会場に入ることができずにあきらめて帰った人がいるという伝説
焼き場での収骨で100人ほども人がいて、「骨が足りなくなる」と不安がらせた伝説
SNSでいろいろな人が松浦さんとの思い出を語り悲しんでいるのを目にしながら
思い出のある人たちがうらやましかった
WEB上では松浦さんと、彼が亡くなる数日前までやりとりがあったのだけど
よく考えてみると13、4年は会えていなかったのだ
札幌から戻って数週間、よく眠れない日が続いいていた
それもようやく落ち着いてきた
今日は月命日。松浦さんに出会えて幸せだった。これからも
ふと携帯を見るとメールの着信。メーリングリストで届いたメールには
「サムズバイクの松浦さんが亡くなりました」の文字。信じられない内容だったが
本当のことだと感じて、体温が急上昇。着ていたスウェットシャツを脱いでしまった
ふわふわしたような不思議な感覚で、その時に何をしていたのかをあまり憶えていない
その後、MXインターナショナルの岡本さんからもメッセージがあり、受け入れるしかないと思い知らされた
21時過ぎ、札幌在住の同級生Gizinより着信。冷静に話そうとしたが嗚咽を抑えきれなくて泣き出してしまった
お通夜(15日)と葬儀(16日)の日程を知らせてくれたので計画を立てる
その夜は一晩中よく眠れなかった。隣でカミさんがもぞもぞと寝返りをうっているのがわかる
彼女も眠れていないようだった
翌日は仕事に行き、有給休暇の申請と仕事の整理。札幌駅近くのビジネスホテルを予約
帰宅して行きと帰りの飛行機を予約と発券
LCCに乗るのは初めてだった。席の前後にはスペースが無く、軽量化のためなのか背もたれは
薄く造られていた。後ろの人の膝が時々当たって不快。成田→新千歳が7千円弱なら良いか
お通夜に行くのはきつかったので、お店に集っているという情報をもらい地下鉄で向かう
おそらく十数年ぶりのサムズバイク
祭壇がしつらえてある一角で献杯
いろんなところに松浦さん。サムズバイクの旧スタッフや常連が集まって飲めるように
用意をしていてくれた
「しんみりしたら罰金」ということで、あくまで楽しく飲む
食べ物をあまり腹に入れないまま日が変わるまで痛飲。Gizinがホテルまで
車に乗せてくれた。着いたのは同じホテルチェーンの違う場所だったけど
そのまま夜の散歩としゃれこんだ
3月16日は告別式。斎場近くの国道は1車線が渋滞。斎場への入場待ちの列だった!
受付を済ませて荷物をロッカーに入れていたら
奈美ちゃんとばったり会い軽くハグ。気が張っているのかしっかりしていた
会場に来ている参列者のほうが大変で、奈美ちゃんが背中に手をあてたり肩を抱いたりして
会場内を歩き回り慰めている様子が見えていた
僕は会場にいる人たちの慟哭に圧倒されてしまい、涙は出てこなかった
楽しいことが好きで周りをいつも幸せにしてくれた松浦さん。送り出しも明るくということで・・
棺の蓋はステッカーチューン。霊柩車で別々に焼き場に行くのではなく、大型のバスで
親族や友人たちとともに(棺は貨物室)
僕たち数名は、松浦さんの秘密基地をGizinに案内してもらうために別行動をとった
真駒内ちかくの川沿いにある秘密基地「Room36」
愛すべきがらくた部屋として貴重なものが展示、ストックしているところ
(リンク先のブログをぜひ読んでほしい)
元スタッフに真駒内駅まで送ってもらい、高速バスで新千歳へ
空港で初めてのスープカレー。美味しかったけど、具が大きくて食べるのが面倒だったなあ
地元駅について、帰宅前にJazzBarそるとぴーなつでお浄め&松浦さんに献杯
松浦さんとここで飲んだことがあって、JAMOOOでも来てくれないかなあと思っていた
心を落ち着かせてから帰宅
僕が松浦さんと知り合ったのは、彼が札幌に戻って開業する直前なので、東京では1年足らず
世田谷のBMX-RIOに努めた期間は3年くらいだったらしい
【松浦伝説】というものがあり、東京時代にもいまだに語り継がれる逸話があったのだ
札幌での25年間の伝説は数えきれないものがあるに違いない
彼が亡くなった3月13日は東日本大震災のチャリティーコンサートに参加するはずで、
直前のリハーサル中に倒れてベースギターを抱えたまま逝ってしまったという伝説
お通夜の会場であった斎場では、800人ほどの人が集まったという伝説
お返しが足りなくなってしまいあとで渡したという伝説
お通夜の会場に入ることができずにあきらめて帰った人がいるという伝説
焼き場での収骨で100人ほども人がいて、「骨が足りなくなる」と不安がらせた伝説
SNSでいろいろな人が松浦さんとの思い出を語り悲しんでいるのを目にしながら
思い出のある人たちがうらやましかった
WEB上では松浦さんと、彼が亡くなる数日前までやりとりがあったのだけど
よく考えてみると13、4年は会えていなかったのだ
札幌から戻って数週間、よく眠れない日が続いいていた
それもようやく落ち着いてきた
今日は月命日。松浦さんに出会えて幸せだった。これからも